兵庫・洲本 / 高田屋嘉兵衛の生涯② 高田屋旧居跡
∞◎高田屋嘉兵衛旧邸跡 井戸(復元) ●都志高田屋敷復元模型(1/40) 「高田屋顕彰館」展示 ●最後に残っていたという厩(うまや)「高田屋嘉兵衛翁伝」より上に掲載した模型写真の右にある茶色い建物と思われる。これも、阪神淡路大震災で倒壊したという事です。 ●店舗の再現 「高田屋顕彰館」展示「源氏物語屏風」は阿波蜂須賀家と関係があるのではないかと解説が添えられていた。...
View Article兵庫・洲本 / 高田屋嘉兵衛の生涯③ 辰悦丸
∞●辰悦丸模型(1/30) 「高田屋顕彰館」展示 「辰悦丸(しんえつまる)」は高田屋を代表する弁才船で、千五百石積みだった。●各地の回船問屋の客船帳に記されている高田屋の船。 最盛期は38艘の持ち船を所有していたというから、 5,6艘の手船を持っていれば大規模船主と呼ばれた時代、桁違いの多さだ。 ちなみに、福井の右近権左衛門は21艘、金沢の銭屋五兵衛は15艘。 ●船に関する書類の数々...
View Article炊飯土鍋を買い換え
9月27日(木)また、台風がやって来そうですね。それも、20、21号と同じようなコースになりそう・・・また徳島上陸?どうしても、今月初めに訪問していた淡路島に想いを馳せてしまいます。きっと皆さん「またかよ〜」って、ウンザリしているんだろうな・・・被害が少ないことを願っています。もちろん我が里を含めた各地でも。2か月くらい前から、炊飯に使っている土鍋が水漏れをしていることを発見。お米を浸水させて、いざ...
View Article兵庫・洲本 / 高田屋嘉兵衛の生涯④ 函館での北方開拓と商売
∞=======================================寛政2年(1790)兵庫にいる親類の船頭堺屋喜兵衛を頼って、下関まわりの船乗りになる。...
View Article風が強かったですね・・・
10月1日(月)台風24号は、足早に過ぎて行きました。TVの雨雲レーダーLIVEの動きがとても速くて、見ていると、後どれくらい続くかというのが予想できました。雨もすごかったですが、とにかく、風が強かったですね〜〜久しぶりに、あんな強い風を経験しました。家の周りは飲食店が多いので、TVで飛んで来た看板やら倒れた看板を見ると、ゾーッとします。エントランスのドアが開けっ放しになっているので、閉めに降りてい...
View Article兵庫・洲本 / 高田屋嘉兵衛の生涯⑤ 蝦夷とロシア
∞「蝦夷図」江戸時代 アイヌの手仕事(アップリケの一種)「トゲのようになっているところに悪いものがひっかかって入って来ないのだ」と白老のアイヌ民族博物館で伺いました。ルウンペ アットゥシ カパラミプ ●ロシアの脅威 =======================================☆年表寛政4年(1792)○ロシアの使節アダム・ラックスマン(大黒屋光太夫ら同行)、...
View Article兵庫・洲本 / 高田屋嘉兵衛の生涯⑥ 嘉兵衛の晩年と高田屋の終焉
∞高田屋嘉兵衛は、ゴローニン事件解決後、病を得て、箱館の店を弟の金兵衛に任せ、故郷の淡路島に帰り、晩年は故郷のために尽くしていきます。文化10年(1813)9月 高田屋嘉兵衛は、ゴローニン事件は無事解決し、 10月箱館の称名寺に監禁されていたが、帰宅を許される。文化11年(1814)再び幕府の蝦夷地定雇船頭となる。文政元年(1818)弟嘉蔵ら、嘉兵衛が無事帰国できたことを感謝して、...
View Article兵庫・洲本 / 高田屋嘉兵衛の生涯⑦ 嘉兵衛が眠る里
∞故郷に帰った高田屋嘉兵衛は、故郷のために尽力していましたが、病のために59歳で亡くなります。やはり、極寒のカムチャツカでの抑留生活が、体に堪えたのではないでしょうか。病気は、下記の伝記を読むと、今で言う骨肉腫でしょうか?自分の死期の覚悟もしていたとは、嘉兵衛らしいクールさですね。=======================================文政十亥年(1827)初春に至り、ふと翁の...
View Article杏仁クリームぜんざい
10月6日(土)今回の台風は日本海側を通るようなんで、我が里には大した影響もなさそうですが、沖縄などは、毎週のように雨風にもまれ続けて、精神的にまいってしまうでしょう。もう、いい加減ウンザリしますね・・・この気圧の乱高下のせいか、なんだか体調がイマイチぴりっとしません。なんとなく頭がボーッとする・・・ホントは爽やかな季節なのにね〜〜急に夏に逆戻りするので、家ではTシャツにハーフパンツで過ごす日が多い...
View Article兵庫・洲本 / 洲本城跡(下の城)
∞右折して洲本城跡、左側には「大浜公園」から洲本港へと続く海がある。 大浜公園 ●下の城 ちょうど上の城の模擬天守と下の城の居城跡が重なって見える。 「洲本市立淡路文化史料館」淡路島と洲本の歴史・民俗に関する資料を展示。 山上の城と登り石垣で結ばれていたという居城跡には、現在「洲本市立淡路文化史料館」・裁判所・税務署が置かれている。...
View Article兵庫・洲本 / 洲本八幡神社と金天閣
∞●洲本八幡神社 狛犬の表情が可愛い。 主祭神:誉田別尊(応神天皇) ホンダワケノミコト(オウジンテンノウ)配祀神:比神(ヒメノカミ) 神功皇后(大帯姫神)ジングウコウゴウ(オオタラシノミコト) 闇靇神(龍神)クラオカミ(リュウジン) ※雨冠に龍...
View Article兵庫・洲本 / 旧益習館庭園
∞正面の小屋が受付(入園料無料) 右側、人が立っている所が庭園の入口。 ●益習館庭園 天守のある三熊山が借景? 小石で水の流れを表現しているのか? すごいバランス これは、益習館や稲田氏時代の建物ではなさそう・・・ 兵庫県指定史跡(平成28年3月15日)名称:旧益習館庭園(きゅうえきしゅうかんていえん)指定種目:県指定...
View Articleチョッと幸せ・・(^^)
10月14日(日)急に寒くなりましたねぇ・・・食べ物もだんだん温かいモノにシフトしてきて、モーニングコーヒーはHOT衣替えもしなくちゃ・・・急に忙しいわぁ〜...
View Article兵庫・洲本 / 旧鐘紡洲本工場と洲本港
∞◎洲本港の変遷●現在の洲本港 明石海峡大橋の完成後には、島内で唯一となったフェリーが、関西国際空港との間を一日数便就航していたが、現在は、なんらかの事情で休航中とのこと。 ●洲本港の歴史 戦後からの復興 淡路島には買い出しのために連日多くの人々が船でやって来た。 大阪湾を臨む観光地として 観光客もバスも多くて、ごった返してますねぇ...
View Article大鳴門橋(本四連絡橋)
∞徳島県鳴門市撫養(むや)町・岡崎海岸から(2017/09/11)左側にある島が「大毛島(土佐泊浦)」撫養も土佐泊も、北前船時代には主要な港でした。 徳島県鳴門市「大鳴門橋架橋記念館」付近(2017/09/11) 大鳴門橋を淡路島方面に向かって・・・(2017/09/13) 兵庫県南あわじ市福良「道の駅うずしお」(2018/09/11)...
View Article明石海峡大橋(本四連絡橋)
∞◎「舞子公園(神戸市垂水区)」から●2018/05/21 05:39p.m.〜 06:43p.m.〜 08:06p.m. ●2018/05/22 05:49a.m. 06:14a.m. 舞子公園内にて 橋の手前は「孫文記念館・移情閣」 「旧武藤山治別邸」内部から ◎淡路島から明石海峡大橋を渡る。●2017/09/13 ●2018/09/11...
View Article駿府城跡(静岡市)に、秀吉時代の遺構発見!?
∞10月23日(火)先日、ローカルニュースを観ていたら、「駿府城公園で発掘調査の現場説明会が開かれました」と報じていた。天守台の発掘調査をしていることは知ってたので、その中間報告だろうと見ていたら、「そこから秀吉時代の天守の遺構が見つかった」というのです。駿府城=家康としか念頭になかったので、エェ〜?!とビックリしました。静岡市の中心部に「駿府(すんぷ)城」があって、今は公園になっているのをご存じで...
View Articleもつカレー
10月25日(木)来年の消費税値上げやレジ袋有料化などのニュースで、毎日喧々諤々・・・どちらも主婦には身近なことで、今から対策を考えとかなきゃね。スーパーのレジ袋は、大手スーパーでだいぶ前から有料化を実施しているので、何を今さら・・・と思ってましたが、首都圏のスーパーでインタビューしている様子を見ると、「困ります〜、どうしましょう」なんて言ってる人もいる。アレレこちらでは、大小問わずほとんどのスーパ...
View Article白菜と小松菜の三角ぎょうざ
10月27日(土)いや〜、寒くなりましたね。毎日、寒さに追いまくられてる感じ・・・来年のカレンダーとノートがそろそろ売り出される頃だろうと、いつもの雑貨屋さんを覗いてみたら、並んでいない・・・店員さんに訊いてみたら「取り扱いはしなくなりました」とのこと、好きなデザインの物を扱っていたのでガッカリ〜お店の方針なのか、来年の休日がハッキリしなくて作られなかったのか・・・?それにしても、来年は休日が多くな...
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