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兵庫・洲本 / 洲本八幡神社と金天閣

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●洲本八幡神社
 
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狛犬の表情が可愛い。
 
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主祭神:誉田別尊(応神天皇) ホンダワケノミコト(オウジンテンノウ)
配祀神:比神(ヒメノカミ) 
    神功皇后(大帯姫神)ジングウコウゴウ(オオタラシノミコト) 
    闇靇神(龍神)クラオカミ(リュウジン) ※雨冠に龍          
祭記事:春祭りは武家郷祭とよばれ、壇尻が6台宮入する。

金天閣は、三熊山北麓の洲本城内に藩主の迎賓館として建てられ、大正時代に境内に移された。(現在県重要文化財)
柴右衛門大明神は、芸能の神、商売繁昌の神として崇敬をうけている。
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由緒:
創立年不詳。
淳仁天皇による創祀とも伝わり、永祚2年(990)に国司藤原成家卿寄瑞をうけ、当国の安寧と繁栄を祈願し、国生みの島の妙なる神の妙なる神州神と称え奉仕の寺四ヶ寺と共に創建したと縁起書に見える。

室町末期安宅氏が、三熊山に洲本城を築いたときに安宅秀一が当社に参籠し、その後も代々洲本城主に崇敬された。

江戸時代には、当神社の目の前に洲本城が置かれ、淡路国における徳島藩の代参所となると共に藩主蜂須賀氏及び家老洲本城代稲田氏の祈願所として特異なる崇敬をうけた。また、淡路国で初めて檀尻がだされたのは当社である。

明治に入り、県社に列せられ、明治31年(1898)本殿幣殿外を改修。

昭和50年代末より創建壱千年事業として幣殿、社務所の改修、本殿等の屋根の葺き替え、金天閣の改修補強工事を行った。

平成11年(1999)に、大阪中座の閉館に伴い、中座の守り神として祀られてきた柴右衛門大明神をお迎えし、中座の関係者や藤山直美さん、片岡我當さん、片岡進之介さん等の方々の協力を得て、祠を作り平成12年に遷座祭りを斎行した。
                       ーー兵庫県神社庁HPよりーー
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●「金天閣」旧洲本城御殿
 
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丸に左卍は、蜂須賀家の紋(蜂須賀万字)だそうです。
 
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上の城の模擬天守が望める。
 
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兵庫県指定重要有形文化財(昭和59年3月28日)

名称:金天閣(きんてんかく)
時代:江戸時代
所在地:洲本市山手二丁目甲785
所有者:洲本八幡神社
管理者:洲本八幡神社
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概要:
寛永18年(1641)に徳島藩主蜂須賀忠英(ただてる)が、三熊山山麓の洲本城内に建てた洲本御殿の一部です。
洲本御殿の大部分は明治維新後に取り壊されましたが、この玄関と書院だけが移築され残りました。
現在は、金天閣として洲本八幡神社の境内にあります。
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三熊山の山麓に鎮座する「洲本八幡神社」は、平安時代中期の承保元年(1074)創建と伝えられる古社。
江戸時代は、藩主・蜂須賀氏、家老・稲田氏の祈願所となった。

境内の「金天閣(兵庫県指定文化財)」は、元は「下の城」の洲本城内に、
寛永18年(1641)に建てられた書院造の迎賓館を移築したもの。

江戸時代の古絵図を見ると、八幡神社の位置は変わっていないようです。
奉納灯籠や狛犬の年代を見ると、かなり古いことが分かります。

『唐破風の玄関を入ると、その奥に上段の間があり、黒漆塗りの格天井は金箔が貼られた黄金の天井だったことから、金天閣と呼ばれた。
 そのほか欄間の凝った彫り物や床、脇床、違い棚などの飾り金具などに、江戸時代初期の特徴をよく残した見事な殿舎建築である。』
 
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そう聞かされたって、見られなきゃ、全く実感がわきませんねぇ〜?!
内部が公開されていないのが残念です。HPの写真も小さすぎるでしょ・・・

蜂須賀家は、淡路島には居住することはなかったので、洲本城(下の城)は、
政務を行うというより、別邸という位置づけですかね?
私が知り得た範囲でも、城代の稲田氏が実質的な城主という印象が強いです。


◎徳島県立つるぎ高校による御殿の再現
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古絵図もとに高校生が洲本城御殿を再現

徳島県立つるぎ高校(つるぎ町)建築クラブの生徒が、古い絵図をもとに洲本城御殿の立体図面などを再現し、御殿の跡地にある洲本市立淡路文化史料館で、「江戸時代後期の洲本城御殿の再現について」として成果を発表した。

洲本城は三熊山の山上の山城と、麓の平城が登り石垣でつながれた珍しい形で、
今回は平城(御殿)の図面を再現。
クラブ顧問の岡本和之講師(66)の指導のもと、3年生の部員7人が約1年かけて取り組んできた。

国文学研究資料館(東京都立川市)などから古い絵図21枚を集め、年代順に建物や道、橋などの移り変わりを分析。
建築様式や建物の寸法や畳数なども調べ、1800年ごろの御殿の立面図や平面図を、
CAD(コンピューター利用設計システム)を使って作成。
図面を元に作製したコンピューターグラフィック(CG)も披露された。

御殿は大坂の陣の功で徳島から淡路を加増された蜂須賀家によって築かれ、新たな城下町が整備された。
御殿曲輪の中に藩主蜂須賀と城代稲田の屋敷が並ぶ全国的にも珍しい配置で、東西93m、南北106mと大名並みの規模があったという。

洲本城は明治初めに廃城となり、御殿も解体されたが、一部が洲本八幡神社に移築されて「金天閣」として残されている。
生徒らは金天閣の実測調査も行い、「しつらえや柱の位置などを考えると、御殿の中で最も格式の高かった蜂須賀家の御書院ではないか」と分析した。

約70人の歴史ファンの前で成果を披露した小椋遙風(はるかぜ)部長(18)は、
「1年かけてやってきたことが、皆さんに興味を持ってもらえてよかった。
図面の制作は今後にも生かせると思います」と話していた。
                       (産経WEST 2018.2.15 より)
 
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高校生のCG再現作業、素晴らしい研究ですね。

                       (山手2丁目 2018年9月8日)

 
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