∞
北前船にとっては、津軽半島は重要な位置にあった。
津軽海峡を渡る時には乗切る風を待ち、蝦夷地からの帰りには一息つける港が点在していた。
津軽海峡を渡る時には乗切る風を待ち、蝦夷地からの帰りには一息つける港が点在していた。
深浦は、風待ちや嵐から避難する弁財船で賑わう津軽一番の港だった。
深浦港は、千石船が25,6艘も係留できる広さがあったそうだ。
弘前藩はその重要性から、町奉行所を置いた。
深浦港は、千石船が25,6艘も係留できる広さがあったそうだ。
弘前藩はその重要性から、町奉行所を置いた。
「円覚寺」の近くに、北前船をテーマにした「風待ち館」が建っています。
航路のことや、運んだ荷物、実際に使われた器具などが展示されています。
航路のことや、運んだ荷物、実際に使われた器具などが展示されています。
●1/3復元弁財船「深浦丸」
ここも、内部まで再現されている
模型は、七百石積弁才船を3分の1の縮尺で複製したもの。
昭和62年(1987)に、佐渡・小木に残る板図を元に、深浦町の船大工・花田昭三氏によって製作された。
「弥帆(やほ)」といわれる補助の帆を広げていたり、伝馬船が載っているなど、興味深い展示になっています。
●展示品
●船絵馬
弁財船登場以前の「北国船」の絵馬
![イメージ 22]()
船絵馬は、船主が自分の船を描かせて神社などに奉納したもの。
船絵馬には、れっきとした専門画家がいた。
青森では、吉本善京、絵馬藤、吉川芦舟、杉本清舟、吉村重助、平井義重などが挙げられるという。
船絵馬には、れっきとした専門画家がいた。
青森では、吉本善京、絵馬藤、吉川芦舟、杉本清舟、吉村重助、平井義重などが挙げられるという。
描き方には、おおまかなパターンがあって、船尾で羽織を着ているのが「船頭」
船首で手をかざして前方を見渡しているのが「表(表仕=航海士)」
荷物の上などに乗って見渡しているのが「片表=表の補佐役」などである。
船首で手をかざして前方を見渡しているのが「表(表仕=航海士)」
荷物の上などに乗って見渡しているのが「片表=表の補佐役」などである。
乗組員のことは、また後日、記事にしたいと思います。
(深浦字浜町 2013年10月12日)
・