Quantcast
Channel: じゃらんカメラ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1617

北海道・函館 / 梅津商店

$
0
0


イメージ 1


イメージ 2


イメージ 3


イメージ 4


昭和9年(1934)頃竣工
設計:不詳
施工:不詳
構造:木造モルタル塗り2階建て

函館市電・十字街電停の手前に「梅津商店」があります。
この建物が建っている交差点を南に進むと「銀座通り」で、大正~昭和初期の建物が並ぶ通りがあるそうで、知っていれば必ず行ってましたが・・・残念です。

大正10年(1921)の函館大火後、梅津商店は木造モルタル塗り2階建ての商店を建設したが、昭和9年(1934)の大火で店舗が焼失してしまった。
その直後、新たに同じように建てられたのが現在の店舗との事。

扱っていたのは食料品や酒類ですが、建物は堅実さが感じられて、最初は金融機関か?と思いました。

角部分がアールになっていて、ここだけアーチ窓になっています。
ウインドウの上には「和洋酒食料缶詰味噌醤油雑貨」と書かれています。
昔は、オシャレなお店だったでしょうね。

調べていたら、この商店を興した梅津さんは、明治から昭和初期の函館で活躍された人のようでした。

◎梅津 福次郎(うめづ ふくじろう)1858~1942
 
 安政5年2月4日、梅津友三郎の次男として常陸国(茨城県)久慈郡太田村下井戸(現・太田町)に生れる。

 明治2年(1869)13歳の時、太田村の醤油醸造業菊池方に奉公に出、近郊に行商して商売の途をおぼえ、真面目な働きぶりで主家の信用を得る。

 明治10年(1877)、父を亡くしたが、北海道の根室の好況なることを聞き、13年(1880)新婚まもない妻ヤエを伴って僅かな旅費を懐に、横浜港を出帆。
海上三昼夜を費やして函館の旧桟橋に着く。何日ぶりかで昼食をとった福次郎は、その昼食代の高いのに驚くが、「この高値は町に活気が溢れている証拠だ。これは前途有望だ。根室と思ったが、わが大業をなす所はこの函館だ」と函館を永住の地と決める。

 翌年、西川町の露地裏に八畳一間の家を借り、納豆売りを始める。その後、天秤棒をかついで塩魚類を売り歩く。
後、小店舗を借り、食料品雑貨類を商ない、酒類の小売を始めたが、店は妻にまかせ、自身は酒の行商に励む。

 明治19年(1886)行商をやめ、願乗寺(現・西別院)前に移転して、梅津の看板を掲げ、酒類、食料品、雑貨を売る。
福次郎の商売のコツは「場所に目をつける」ことだった。店舗拡張を思い立った時、「あんな大きな店を借りて、梅津という男は正気なのか」と人々の嘲笑をかった。
それから数日後、末広町銀座通りの角地に「梅津商店」の大看板が掲げられた。明治23年(1890)33歳のときであった。これが開運の端緒となった。

イメージ 5
 明治25年(1892)道内各地に進出。商売はますます繁榮し、区内の一流店となった。 35年(1902)ごろから、エトロフ、千島、樺太に進出、販路は東北、北海道、千島、樺太の広きにおよび、地方に出ては同業者中、1、2位を争うまでになった。  「火事は函館の名物」といわれるほど函館は大火が多く、明治40年、大正10年、昭和9年の3度の大火で裸一貫になった。 しかし災厄に遭っても不断の用意があり、次善の策を考え、直ちに実行に移した。 大火が鎮まると、すぐにバラックの貸家を作り、羅災した得意先に食料品を供給した。 焼け野原の中に立っても独自の才腕を振るい、得意先は増加の一途をたどった。 このようにして、福次郎は時代を達観し、天賦の商才をもって刻苦勉励し、一代にして巨万の富を築いた。  福次郎は常に報恩感謝の念を忘れず、ものに触れ、事に発して、教育、公共の事業に寄与し、自治の振興につくした。 とくに、育英事業に関心をよせ、函館高等水産学校(北大水産学部の前身)の設立のために、また、函館市立中学校(現・束高校)の建設にあたっては、率先して建設費を寄付した。  昭和17年6月23日、明治末期から大正にかけて区会議員等を歴任するなど名実共に実業家として活躍した梅津福次郎は、85年の崇高な生涯を閉じた。  「人には容易に真似の出来ないことをして、体の続く限り、精魂を傾けて、働けるだけ働く」70年間一貫した福次郎の信条であった。                      ーー「はこだて人物誌」より転載ーー


やはり、商売は人望あってこそ・・・ですね。
富を手に入れてからどう生きるか、というのも人間として肝心なことかも知れません

福次郎さんは跡取りに恵まれなかったようです。
そのせいかどうか分かりませんが、長く続いた梅津商店(のちに(株)梅津)も、時代の変化で、大手との競合から売り上げが大幅に低迷、2013年に倒産してしまったそうです。

現在、この建物は、雑貨などを扱うお店に改装中とのこと。


                       (末広町 2013年10月10日)


Viewing all articles
Browse latest Browse all 1617