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(田中町 2017年5月16日)
国登録有形文化財(2013.12.24)
名称:旧宮崎商館(きゅうみやざきしょうかん)
明治40年(1907)竣工/昭和中期(1946~1965)平成20年(2008)改修
設計:不詳
施工:不詳
構造及び形式等:煉瓦造2階建、銅板葺
建築面積:197
登録番号: 35-0077
登録基準1: 造形の規範となっているもの
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解説文: 街路に南面する煉瓦造二階建。正面中央の玄関アーチは迫元と要石の間に迫石を挟む。
左右の窓枠は、切石の?と窓台を延ばした水平帯で立面を引き締める。
二階ヴェランダは要石を入れた五連アーチとし、軒先をデンティルで飾る。
整った意匠になる煉瓦造の商館。
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※デンティルとは、歯状になった軒飾りのこと。
明治40年(1907)竣工/昭和中期(1946~1965)平成20年(2008)改修
設計:不詳
施工:不詳
構造及び形式等:煉瓦造2階建、銅板葺
建築面積:197
登録番号: 35-0077
登録基準1: 造形の規範となっているもの
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解説文: 街路に南面する煉瓦造二階建。正面中央の玄関アーチは迫元と要石の間に迫石を挟む。
左右の窓枠は、切石の?と窓台を延ばした水平帯で立面を引き締める。
二階ヴェランダは要石を入れた五連アーチとし、軒先をデンティルで飾る。
整った意匠になる煉瓦造の商館。
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※デンティルとは、歯状になった軒飾りのこと。
2000年撮影(「ロダン美容室」時代)
この建物は、下関市役所の北側に建っています。
建物のある唐戸西之端大通は、かつてのメインストリートで、路面電車が行き交い、
明治後期には外国系の商社や、下関商業会議所、旧下関郵便電信局(現存)などの明治・大正建築が軒を並べていたそうです。
建物のある唐戸西之端大通は、かつてのメインストリートで、路面電車が行き交い、
明治後期には外国系の商社や、下関商業会議所、旧下関郵便電信局(現存)などの明治・大正建築が軒を並べていたそうです。
通りの南側には「旧英国領事館」があり、その1年後に完成しているので、
煉瓦と石の組み合わせ、五連のアーチをベランダに設けるなど、
意匠に大きな影響を受けたのは、見るからに明らかですね。
英国人の設計とみる説もあるそうです。
「宮崎商会」は神戸で設立され、明治26年(1893)から下関を拠点に石炭輸出業を展開した商社で、この建物は社屋として明治40年に建てられた。
煉瓦と石の組み合わせ、五連のアーチをベランダに設けるなど、
意匠に大きな影響を受けたのは、見るからに明らかですね。
英国人の設計とみる説もあるそうです。
「宮崎商会」は神戸で設立され、明治26年(1893)から下関を拠点に石炭輸出業を展開した商社で、この建物は社屋として明治40年に建てられた。
持ち主の変遷がハッキリ分かってはいないようですが、
「ウール商会」とか「アーク商会」だった等と書かれているものもあります。
「ウール商会」とか「アーク商会」だった等と書かれているものもあります。
下関は外国人居留地ではありませんが、英国が領事館を設置した目的が商業であり、
それに呼応して対外貿易港としても栄えたので、外国人商館も多かったでしょう。
それに呼応して対外貿易港としても栄えたので、外国人商館も多かったでしょう。
私が前回行った時は「ロダン美容室」と紹介されていたので、
どうしてもロダンと言ってしまいがちですが、現在はクリニックになっていました。
どうしてもロダンと言ってしまいがちですが、現在はクリニックになっていました。
見た目はほとんど変わらなので、長い間大切に使われてきたのだろうと推測できます。
入口のシェードや看板が撤去され、1階の窓が上げ下げ風になっています。
入口のシェードや看板が撤去され、1階の窓が上げ下げ風になっています。
この建物は、いつになっても外観を見てるだけですが、
内部は持ち主の変遷に伴って改築され、きっと往時の痕跡は残っていないでしょうね。
内部は持ち主の変遷に伴って改築され、きっと往時の痕跡は残っていないでしょうね。
出典
「近代建築大全・西日本編」講談社刊
「九州・山口の西洋館」西日本新聞社刊 ほか
「近代建築大全・西日本編」講談社刊
「九州・山口の西洋館」西日本新聞社刊 ほか
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