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香川・丸亀 / 塩飽本島 ④ 塩飽勤番所・1 建物

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●長屋門

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右側、現在休憩所となっている所は罪人の留置場跡。

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●主屋
 
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左側の縁先が罪人を取り調べる白州だった

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正面に式台付き玄関

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「政務の間」など

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年寄りの詰め所や台所、便所などもある。

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中庭の奥には「朱印庫」がある。

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●「塩飽島勤番所ノ図」 
「香川県]国宝並ニ史蹟名勝天然紀念物調査報告」香川県史蹟名勝天然紀念物調査会 編
 昭和9年香川県刊より

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国指定史跡(1970.07.22)

名称: 塩飽勤番所跡(しわくきんばんしょあと)
寛政10年(1798)建築
万延元年(1860)改築
種別1: 史跡
告示番号: 253
特別区分: 特別以外
指定基準: 二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡
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塩飽勤番所跡は、本島港から徒歩10分の所にあり、
表に堀を巡らせ、敷地(1,497m²)の三方を約42mの土塀で囲み、
南に向いた正面を片側番屋の長屋門としている。
敷地内には、入母屋造り・本瓦葺き(むくり型)の主屋と、朱印庫、番人部屋などの
付属建物がある。

塩飽諸島は古来、秀吉、家康の朱印状により、1250石の領地を与えられた650人の船方衆が、明治に至るまで治めてきた土地柄である。
船方衆は大名に対し「人名(にんみょう)」と呼ばれ、その組織を島中と呼んだ。
人名の代表者が名字帯刀を許された4人の「年寄(としより)」で、
1年交代で朱印状を保管し、自宅を役所として政務を執ってきた。

寛政元年(1789)、惣兵衛・小右衛門の両名が代表し、島中の窮状と公役の軽減を幕府に直訴した結果、島治の改革が実施される。
世襲による旧年寄に代わり、塩飽全島から3人の新年寄を入札で選出し、
寛政10年に勤番所が建築され、年寄が勤務することになった。
幕府の認可を受けてから、建築し朱印状を移すまでに5年を要した。

明治初期の廃藩により、塩飽領が解体する。
11村に分散し、勤番所は本島村役場となり、昭和29年丸亀市と合併後は本島支所に転用された。

昭和45年7月、国の史跡指定を受け、52年3月に復元、主屋は塩飽の歴史資料館として公開、本島観光の拠点になっている。

信長、秀吉、家康からの朱印状や、徳川家親藩の高松藩と塩飽領の魚場争いの際に
大岡越前守忠相らが署名した漁場の裁許書(縦1.82m、横2.21m)、
咸臨丸に乗船した塩飽水夫たちが米国から持ち帰った品々などを展示している。

現在、市からの委託により、塩飽勤番所顕彰保存会が運営しているが、所有者は今も塩飽人名650人である。
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「勤番所(きんばんしょ)」とは耳慣れない言葉で、以前から気になっていました。

「船番所(※藩や幕府が入出港する船を取り締まる役所)のようなものですか?」
と伺ったら、解説文にあるようなお返事だったので、初めて内情が分かりました。
やはり、塩飽以外には使われていない言葉だそうです。

堂々とした長屋門に驚きました。こんなに大きな建物だったとは想定外です。
民間の建物でこの規模、その当時によく許可されましたね・・・

年寄役が政務を行う役場ということですが、
島民の統治が行われたとはいえ、大坂奉行の支配下にあったそうなので、
必ず本物の役人が見回りにやって来たでしょうから、迎賓館でもある。
式台付きの玄関がそれを表しています。
島の年寄といえども、決してここからは上がらないでしょう。
通常の玄関は右手にあり、現在は見学者の入口になっています。

お白州と牢屋(留置場)もあったということは、裁判所や警察のようでもある。
ただ、服役させる場合は大坂町奉行所へ送ることになっていたそうです。

つまり、武家制度の「陣屋」のような役割だったという理解でよさそうです。


                      (本島町泊 2017年9月10日)


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出典
丸亀市HP
「塩飽本島歴史探訪 いっぺん来んかな」本島しまおこし実行委員会刊 ほか



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